複数の男性に囲まれ、丁寧に扱われるどころか、むしろ「一人の女性として扱われていない」ように見える――。乱交もののAVなどを見ていると、そんな場面がある。
男性側から見ると不思議なのは、「本人が本当に望んでいるなら、なぜそんな扱いをされて満足できるのか?」という点だろう。
もちろん、現実には本人が望んでいない状況や、断りづらい状態で行われる行為はまったく別問題である。ここではあくまで、成人同士が合意したうえで、本人自身が「複数の相手に翻弄される」「物のように扱われる」といったシチュエーションを性的嗜好として求める場合、その心理を観測してみたい。

「雑に扱われたい」こと自体が目的とは限らない
まず重要なのは、本人が日常生活でも粗末に扱われたいわけではないということだ。
恋人には大切にしてほしい、職場では一人の人間として尊重されたい。それと、性的な場面だけ「完全に受け身になりたい」という願望は両立する。
人間には、日常の人格と性的な空想が一致しないことがある。普段は真面目で責任感が強い人が、性的な場面では逆に「何も考えたくない」「全部相手に任せたい」と感じることもある。
つまり、求めているのは必ずしも「侮辱」ではなく、自分の日常的な役割から一時的に降りることなのかもしれない。
複数の男性から求められることを「承認」と感じる心理
もう一つ考えられるのが、複数の相手から一斉に性的な対象として求められることで得られる、強烈な承認感である。
外から見ると「雑に扱われている」ようでも、本人の感覚では、「それだけ自分が欲しがられている」という意味に変換されている場合がある。
これは普通の恋愛的な「愛されたい」とは少し違う。人格全体を評価してほしいのではなく、その場では極端なくらい性的な存在として求められたい、という方向だ。
そのため、同じ行為でも「大勢に囲まれて怖い」と感じる人もいれば、「自分に欲望が集中している」と興奮する人もいる。意味づけがまったく違うのである。

羞恥心があるからこそ興奮する
さらにややこしいのが、「恥ずかしいのに、それが興奮につながる」という心理だ。
性的嗜好では、嫌悪と興奮、恐怖と好奇心、羞恥と快感のように、本来反対方向に見える感情が結びつくことがある。
「普段の自分なら絶対にやらない」「こんな姿を知られたくない」。その禁忌感や自己イメージとの落差そのものが刺激になる。
これは、怖い映画を自分から見たり、高いところが怖い人が絶叫マシンに乗ったりする心理にも少し似ている。現実に危害を受けたいわけではなく、安全な枠の中で“危険そうな感覚”を味わいたいのである。
実は「支配されたい人」が状況を選んでいる
一見すると最大の矛盾がここにある。
「支配されたい」「好きにされたい」と望んでいる人も、実際には自分自身でその状況を選んでいる。
誰とするのか、どこまで許すのか、何は嫌なのか。事前に条件を決め、安全にやめられる環境が整っているのであれば、表面的には受け身でも、最終的な決定権は本人側にある。
SMでも似た構造が見られる。命令される側が弱いように見えて、実際には「この範囲までならされたい」と選んでいる。つまり、支配されることを自分でコントロールしているという少々逆説的な関係が成立する。

AVの「肉便器キャラ」をそのまま現実だと思うのは危険
ここで注意したいのがAVである。
乱交作品では、女性が極端に従順だったり、「何をされても喜んでいる」ように演出されることがある。しかしAVは作品であり、設定や演技、編集が入っている。
作品内のセリフや態度だけから、出演女性の本当の嗜好を判断することはできない。
また、現実に同じ嗜好を持つ女性がいたとしても、いつでも誰にでもそうされたいわけではない。「この状況なら望む」と「誰から何をされてもいい」はまったく別である。
自尊心が低い女性だから、という説明でも足りない
こうした嗜好を聞くと、「自分を大切にできない女性なのでは?」と考える人もいるだろう。
確かに、自尊感情や過去の経験が性的行動に影響する人はいる。ただし、それだけですべてを説明することはできない。
日常生活では自信があり、仕事も家庭も問題なくこなしながら、性的な空想だけは極端という人もいる。
性癖は人格診断ではない。一つの性的ファンタジーから、その人の日常生活や人間性まで決めつけることはできないのである。

現実で成立させるには、むしろ細かい合意が必要
そして、こうした極端なシチュエーションほど、本来は安全面への配慮が重要になる。
複数人が参加するほど、一人ひとりの認識にズレが起きやすい。「嫌なら途中でやめられる」「事前に認めた範囲を越えない」「酔わせて判断力を失わせない」といった基本が崩れれば、本人が持っていた空想とはまったく違う出来事になってしまう。
つまり、「好きにされたい」というファンタジーを成立させるためにこそ、実際には“好き勝手にしてはいけない”。
この矛盾こそ、このタイプの性癖を理解するうえで重要な部分なのだと思う。
観測結果――欲しいのは「粗末な扱い」ではなく、その先の感覚かもしれない
外から見れば、複数の男性に雑に扱われることにしか見えない。
しかし本人が求めているのは、必ずしも「人間として軽く扱われたい」ということではない。
判断することをやめたい。普段とは別人になりたい。強烈に求められたい。恥ずかしい自分を解放したい。そうした複数の感情が組み合わさった結果として、極端なシチュエーションを選ぶ人がいると考えたほうが分かりやすい。
結局、外から見える行為だけでは本人の満足は判断できない。同じ状況でも、一人には苦痛で、一人にはファンタジーになる。
性的嗜好というものは、行為そのもの以上に、本人がその行為にどんな意味を与えているかで大きく変わるようだ。
最後にひとつ
こういう女性を奥さんにしたら、実際どうなるんだろう。趣味はセックス三昧、なんて想像すると正直ちょっと怖い。ただ、性癖が強い=家庭が壊れるとも限らない。結局は回数より、夫婦でどこまで共有できるかなんだろうね。